謹賀新年満身創痍
そんな人、今年の正月も多そうだなと思って適当なタイトルにした次第である。
正月である。
呑んだくれは寝ずに帰省し寝正月を満喫した。
帰省途中から積み本になっていた本を読んだ。
伝説的なクリエイター佐藤雅彦の「新しい分かり方」を読んだ。
私は学生時代からこの人の作る映像やそこから得られる、伝えようとする考え方が好きでずっと追いかけている。
この本は普通のハードカバーのカラー多めに対して値段が良心的すぎる所にまずびっくりした。
内容はいつもどおり、日常の中で普通に見過地がちなギャップやちょっとおかしいところを取り上げて親切に説明してくれている。
この人の着眼点の凄さは今までの人生でたいていの人が体験した事がある根本的な物事を見過ごさず「言われてみればそうである」と再確認させてくれる所だと思う。
世の中というか、世界に存在する法則や認知に対して分解して細かくした根本の理由を説明してくれるのが楽しい。
そういった情報はたいてい利便性のためにショートカットを重ねられて成り立ちがわかりにくくなっているものだ。
伝えたいがために新しい情報を出すのはなんだか嫌なんだけれど、世の中のわかりにくさはプログラミングの関数に似ている気がするので書いておく。
プログラミングは実行したい物事に対して、自動または状況によって分岐させる道しるべを最初から定義する事だ(と私は理解しているがそれだけじゃないかもしれない)。
プログラミングを設計するのに同じ事を何回も設計するときがあり、その時に関数を使う。
関数とは箱である。箱にはなんでも入れられる。
箱に1つ何度も出てくる設計の一部を入れると今度はその箱を呼び出すだけで長ったらしい設計図を省略できる。
より設計図がわかりやすくスリムな見た目になり管理がしやすくなる。
そんな感じに理解している。
世の中は関数が折り重なった現象にあふれていて、その関数の集合体を私達は認知していると思う。
私たちはしらない間に生きながら臨機応変にショートカットを駆使して生きている。
そのショートカットを紐解き且つマイルドにとっつきやすくした本が「新しい分かり方」である。
ちなみに人は日々臨機応変にショートカットを駆使していると書いたが、その辺について書いてあるのは、「アフォーダンス-新しい認知の理論」という本である。
アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))
- 作者: 佐々木正人
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/05/23
- メディア: 単行本
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途中の小話にAIを組み込んだロボットとのやりとりがあって人の認知の複雑さについて解説している。
人は過去の体験や知識を辞書のように情報として溜め込み、生きながら常にその辞書を引き共通点を探し現在の問題を解決する緒を探っていく。それも一瞬で。
そんなことが書いてある本だった。
薄いくせに1ページの情報量がとてつもなく意味を検索しながら読み解かないと私にはきつかった。
ちなみに半分ほど読んで積み本の1冊になった。
途中から読むのは難解すぎるのでまた始めからきっと読むのだろうな…
しかし人の認知は本当に面白くて、地域によって常識が違うので、物事や状態として変わらないものが常識の違う人によっては意味合いがまるで違うのが楽しい。
これを紐解いていけばきっと完璧な考える基軸が見つかるのではないかとワクワクしている。
糞真面目な話になったが特に落ちもなく。
そうだな、今年こそ、積んでる本や見たいと言った(厳密には言ってしまった)映画やら作品やら見たいと思う。
とりあえず今月の中旬くらいで終わってしまう銀座グラフィックギャラリーのマリメッコ展には絶対に行きたい。
そばと渋谷と時々呑んだくれ
大晦日である。
毎年大晦日は倒れたり無気力過ぎたりいい事がまるで無かったが今年は飲みながら年越しを迎えられそうで御の字である。
今年は何があっただろうか。
思い出せば辛い事ばかり浮かぶのに全体を思えば悪くないと感じる。
ゆっくり過ごした1年だった。
1年前、ブログをやろうと立ち上げまっっっったく続かない年だった。
最後のちょっとは続いた。
今年も適当に好き勝手生きていく。
もう他人をそこそこ気にしつつ(無視はしないし大事にはする)できるかぎりわがままに生きていく。
そんな1年にしたい。
よろしくね!全人類!
不二家が1番美味しい
不二家と言えばケーキだが普通にダースチョコレートやクッキーなど売ってる。
わかりやすくご想像いただくとスーパーのお菓子陳列棚である。
あの棚にはいろんな会社の製品が並ぶ。
一時期お菓子のパッケージ集めにどハマりしていたので色んなお菓子を見ていたり食べたりしていたのだけれど一線を駕して美味しかったのは不二家だった。
今もそれは変わらず不二家の新作菓子を見ると「おぉぉ!」とまず見てしまう。
不二家の凄いところはなんでも美味しく仕上げて来るところだと思う。
まず、大体お菓子メーカーだと強みの分野があるし主力商品がある。
アイスが美味しいメーカーもあればチョコレートに力を入れている所もある。
なのに不二家は全部美味しいのだ。
飴だろうがチョコレートだろうがクッキーだろうがなんでも美味しい。
お菓子のタイトル知名度関係なく不二家だったら美味しい。すごい。
チョコレートはどこも推してて明治でもロッテでもどこでもCMをとても沢山流す。
不二家はあまり流さない。
なので店舗で初めて商品を認知することが多い。
なのに、美味しいのだ。
買って後悔したことが全くない。すごい。
そこで思った。
不二家は元からケーキなど生菓子を扱ってきたメーカーだ。
生菓子はああいったスーパーで売る駄菓子よりクオリティと言うかお菓子レベルが高い気がするのだ。
すぐ痛む、と言うのは弱みでもあるが瞬間的に美味しいものって大抵不味いことが無い。
そしてすぐ痛むものは高価なものも多い。
よって保存期間の長い駄菓子より生菓子は貰っても嬉しい分類に入る。超個人的見解だけれど。
そう言った元より目指すクオリティの高さや生菓子で培った技術が駄菓子に来たら…それはもう無双状態なのは想像がつく。
だから美味しいんじゃないかなって夜中に気がついた次第です。
冬休み到来につき毎日アルコールを摂取している。
ホント、最高かな。毎日こんな風にゆっくり過ごしたい。
あまりついてないひ
今日は仕事も定時後に諸々来るしジムに行っても持ち物落とすわ足裏痛いわ鍵が途中で壊れるわとことん悪かった。タイミングが。
むしろついてるのかもしれない。
不幸の妖精みたいなものが。
まぁ幸福も不幸も気の持ちようだしね。
どんな時でもイライラしない穏やかで広い心を持ちたい。
イライラしてる時って大体プライド高いかプライド高い人に気持ちが汚染されてるから気をつけないとね。
常に口角を上げて生きていきたいですね。
今日はご飯じゃなくてね、本を紹介する。
デザインの事例書みたいなもので手の込んだものがたくさん載ってるから買いました。
最近はフラットやらシンプルやら動きで見せるやらでwebもスーパーリッチはあまり求められなくなっているけれども、いつまたスーパーリッチが流行る世が来るかわからないからね。
引き出しを多く準備するのは大切だよ。
手の込んだデザインってこねくり回さないと出来ないし。
こう、パパッと手際よくやりたいんだ、どんなものが来てもね。
単純に綺麗にまとまってるから見たいってところもある。
ごちゃごちゃしてるのに綺麗にまとまってるのは凄いよ。
デザインの話で、全く関係ないようなあるようなイライラすることあって。
デザインできるよーって言うとタダでやってもらおうとか安くやってもらおうとかする奴が許せなくて。
是非やらせて!って言ってきても相手が本職だったりクオリティが高かったら普通にお金出すよ。
そうじゃなくてもお礼は弾ませるよ。
出来ないことで、仕事になる事をやってもらうのだから。
話はそれたけど今日もお昼ご飯は食べたから結局ご飯も載せる。
カルボナーラだよ!おいしかった。
そんな感じ。
物足りない気持ちになるランチ
今日はカフェランチした。
カフェのご飯ってなんだか物足りなくて損した気持ちになってしまう。
ちょっとしたご飯と肉とたくさんの野菜。
野菜が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
しかし昼間ってまだ午後があるから気合入れてお腹に溜まるものが食べたいお年頃なのだ。まだ。
それはさておきカフェランチとは空間や健康に対してお金を出しているのではないだろうか。
カフェランチで満足いくボリュームにあまり巡り会えない。
オシャレであればあるほど比例して皿の上もオシャレで空間を使いたがる気がしている。
まぁそれはきっと先入観や固定概念もありそうだけれども。
そんなこんなでこんなランチ。
肉が、更に、2倍と、ご飯が、3倍、欲しいっ!って思ってしまう。
野菜はその量でよい。
結局物足りなくてお菓子を食べるのである。
野菜ランチした意味がまるでない気もする。
物足りないなぁ。
親子丼の日
今日は残業したくなかったのでちょっとだけしてジムへ。
今年残り僅かなので抜かりなく筋肉痛になりたい。
実家に帰れば美味しいおせちにおやつにこたつに誘惑のオンパレードなのは例年を思えば察しがつくし、その誘いの強大さたるやブッタでさえ下唇を噛みちぎるレベルではないかと毎度思う。
さらにBSのにゃんこをひたすら追いかけるネコ歩きが録画してあるため見放題である。
にゃんこにこたつにおやつ。
さらにみかんも付いちゃう。
もう逃れられない。
これを我慢するなど修行ではない。
拷問である。
目の前にして欲望のタガが外れるのはわかっている。
よって物理的に距離を置くこと、見えなくすることは大切なのだ。
私は修行はできても苦行は無理だ。
そんなこんなで昼休みに親子丼を食べた。
久しぶりのトロトロジューシーな親子に舌鼓を打たざる得ない。
ででーん。
親子丼てなんてこんなに美味しいんだろう。
卵の半熟とろとろな具合も素晴らしいし、それに絡みつく鶏肉の柔らかで噛むたび出汁が出るジューシーさもたまらない。
パーフェクト。拍手喝采。
やはりこれは親子コンビネーションが成せるおいしさなのか。
豚でも牛でもなく鶏と卵。
鶏肉with卵。
いやwithなんてもんじゃない鶏and卵。
チャゲとアスカのような貝合わせコンビ、ならぬ鶏合わせコンビ。
そう鶏と卵は切ってもきれぬ運命なのだ。
まぁ親子だしそうだよね。
超普通に親と子だもんね。
はい。
クリスマスなのでクリスマスらしく会社でケーキを食べたりした。
美味しかった。